lost my past

goodbye my past truth

出会って半年の大原空へ

gbmpt.hatenablog.com

 

 

あの日からこっち、毎日大原空ろくろを回し続けている。

 

大原空と出会って初めての空くんの誕生日。

まだなにも君のことを知らないけれど、また新しい1年で、新しい君を見てみたい。

半年間の思いを込めて。

 

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大原空にとって、空(sky)と音楽は、同一のものであったのだろうと思う。音楽は、青空のように果てがなく、自由で、風が肌に触れるように優しくて、嵐に打ちひしがれるような日も、雲の先にはいつだって澄み切った新しい世界があって、憧れで、焦がれて、手を伸ばしてみたくなる。きっと空くんにとって、空(sky)と音楽は、同一なのだ。


空くんにとって、空(sky)は憧れの対象なのだ。しかしその憧れの先に、今の自分というものは決して居ない。
青空に飛び出すみたいな青春を語るときの、その「そら」という音に、まったく自分を乗せていないのだ。
空くんはこんなにも空(sky)を題材にすることがあるのに、じぶんの名前が空であることを忘れているのではないか?とさえ思うときがある。
そして、周りの人間もまた、空くんが空(sky)を題材にするとき、それをナルシシズムであるとは、微塵も感じていないのである。
さらに、また厄介なのが、どうもこの男、過去の自分と音楽のことは、完全に同一視しているのである。

 


昔、空くんは音楽であった。だからこそ、他者からの曲の否定が、自己に対する否定と、単純に結びついて響いてしまったのだろう。
そして、あのとき宗司くんのかけた言葉は、空くんと音楽を同一視していなかった。それはあのときの空くんに、まるで真新しいことのように響いただろう。
これは、自分と音楽がイコールで結びついてしまっていた空くんの、あいまいな自己認識との決別のおおきなきっかけのひとつであったと思う。そして、ALIVEというテーマに結び付く、夢幻のなかではなく今を生きること・SOARAの源流となる経験のひとつだっただろう。
そうしてあのあと日常で行われたのは、自我と音楽との分離だろうと思う。カラオケがすきというのも、自我と音楽に線を引くひとつの行為になりえる気がする。自分と同一視していた音楽との離別。しかし、音楽そのものは大好き!ここで嫌悪の対象にならないのが、大原空の大原空たる気高さのひとつだろう。
自分だったのに、つよく、おおきな痛みとともに切り離さなければならなかったもののことを、憎んだり、忌み嫌ったりしない空くんだからこそ、あのときみんなに向かって「バンド、やろうぜ」と自発的に言い出すことができたのだろうなと思っている。目を背けたかったのは、音楽ではなく、あの辛くて悲しい経験に対してだけなのだ。


あのとき置いてきた痛みは、青空と同じように憧れた音楽である。そしてそれは、自分自身である。また、それは自分の意志で、力で、切り離したのだ。
多少、自分が幼稚で未熟だったせいでこの結果を招いたと、思い込みすぎているところがあるのだが、それは、自らの手でで切り離したという自覚によるところなのだろう。

 

空くんのソロ曲で、一番聞こえてくるフレーズがある。SKYDREAMの最後の「どこまでも続いてく 空へと歌うよ」、そして空色のラブソングの最後の「空色のラブソングを歌うよ」だ。
彼はいつも、ここで景色を変える。


むかし、すべてひとつだった自分と、音楽と、空(sky)のこと。
良かったことも悪かったことも、感謝も後悔も、笑顔も涙も、全部自分の過去である。そうやってすべてと向き合い、仲間と共に今の自分が出来る最高のこと・「歌う」という行為で、決別をするかのようだ。

空へ解き放った自分。でも、上昇気流が生むのは雨だから。形を変えたとしても、いつかまたこの身に降り注いで、未来の自分の恵みとなりますように。全てを持ったまま未来へ行くことが、過去に対する贈り物みたいになりますように。今を生きることの祝福を、いつまでも。この手で作り出したもので、みんなと。新しい一歩を、踏み出せるようにと。
そういう決意に見えて、気高く、うつくしいなと思うのだ。
だから、空くんが空(sky)を歌うことに、自己愛のような不自然さはないのだろう。

 

 


あたたかい空気を巻き込んで、青過ぎない夏の空みたいに、優しくて、ただあるだけで笑顔になれるような、君の生み出す音楽そのものみたいな君へ。
お誕生日おめでとう!