lost my past

goodbye my past truth

SolitudeHOTEL(disc)感想

8月18日、SolitudeHOTELのBlurayが発売されて、私たちは再びSolitudeHOTELを見ることができるようになった!本当に、ありがとうございます。発売、おめでとうございます!
そうしたら私は自分のブログに反論したくなって…、いや、感情に感情で言い返すだけですが、もう一度何かを書きたいと思った。

ドキュメンタリーを見て、コショージさんは作品に言葉を尽くしたくなる、というより、人を振り切って独走するような発想ができるぶん、これでほんとうに伝わるのかと立ち止まるところがあったのだろうと思った。
ずっとそれを彼女の優しさだと感じてきていたけれど、もし本当に独りで走った先で立ち止まっている瞬間があったのならば、なんて心の消耗する優しさだったことだろうと思った。
だから勝手に許された気持ちになるのは、命を削って出してくれたものに対してちょっと真摯ではないのかもしれないと思った。この気持ちはnon Fiction(long ver.)を聞いても強く感じる。
non Fictionを聞いていると、君を見つけたいと思う。けれど、本を燃やしたいとも思う。
僕は、君のために君を見つけてあげたい。君のために本を燃やしてあげたい。
そう言いながら結局ほんとうは、僕のために君を見つけたくて、僕のために本を燃やしたいだけなのかもしれない、と思えてくる。
しかし、まあ、ノンフィクションだから。どれも本当でどれも嘘かな!なんて。ああ、あんなに命を懸けてくれていたのに、結局好きなよう消費して、好きなようにしか感じることができなくて情けないな。でも私のこの思考ってどうせ自己愛でしょ、と頭があっち行ったりこっち行ったり。
たぶん私なんかはブクガが見せてくれたものの1割も分かってないんだと思っている。
だから、わからないことをわかろうともしないで、許されるのは間違ってるかもなって。
しかし、だからこそ、ずっとブクガの良さを凄さを、これからも考えていくし、聞いていくことができるとも思った。

ところで、私は今 敏さんが好きなんだけれども、彼に対しても、彼のやったことの1割も理解してないと思っている。
さっきから言ってる1割とかいうこれは、私がバカというのと、それだけ向こうが凄かったんだって意味なんだけど。
それでも、1割もわかってなくても、尋常ではないということは感じていて。凄い渦巻くようにしながら怒涛に押し寄せてくる尋常ではないものが、ふとした瞬間に全てやんだかのように「届いてる?」と聞いてくるんですよね。
それを弱さと言うのか強さと言うのか、優しさと言うのか厳しさと言うのか、どれが正しいのかわからないけれど。
天才なんだから、その渦のまま銀河を超えて宇宙の果てまで行ってしまってもいいのになと思うこともあるが、そんなことを感じるのは消費しかできない視聴者の無責任なエゴだと思ったり、勝手に天才と名付けてひとを孤独にしたいのかと思ったり、しかしながらいや天才とて私たちと何らかわりのないいっこの人間なのだと思ったりする瞬間のひとつだ。
そういうことを感じていることを、ブクガの最後のドキュメンタリーを見て思い出した。



ブクガって優しかったなと思う。最後は残酷だったかもしれないけど、そんなの、と思えるくらいに、じゅうぶんすぎるくらい優しかった。
とにかくMaison book girlは始まったときからずっと、なんと言い現すべきなのかわからないが、ちぐはぐと言うか、裏表一体というか、真逆の印象を同時に抱くことばかりだった。だから、ブクガに残酷と優しさは同居していると言いきれる。

周到な用意と、偶然と。今回も、たとえば知り得る情報だけで、中野ホールZEROで本当に0になるつもりだったのかと想像すると、偶然だとしても9Fが存在してくれて本当によかったなって。受け取る側のエゴだけどね。
こうやって、ずっと、私のエゴと向こうのエゴを想像するのを繰り返してる。本当に私たちは救われなかったかな?でも救えなくて守れなかったとそっちが言うのは、そっちのエゴだね、私は私で勝手に救われてます!ありがとう。なんてね、ごめんね。ありがとうね。はあ〜あ、大好きだったなあ、Maison book girl